2013年 01月 13日
高松松平家 |
事の発端はこのご兄弟と父君。
父君は 徳川家康の末っ子 徳川頼房公。
兄弟とは 頼重公と光圀公。
右が賢いお兄ちゃん高松松平藩祖 頼重公。
左がやんちゃな水戸黄門 光圀公。
水戸家を継いだのが 弟 光圀公。
光圀公これを後ろめたく思い、兄の子をわが養子 水戸家の継嗣とし、
我が子を兄の子として讃岐高松へ送ったのでした。
水戸黄門の別名は“義公”。義理堅いのでした。
その故に 他藩の大名からも慕われ、
ドラマのとおり ははーっとなるのでした。
ただ 地位が高いだけで ああなっているわけではないのです。
高松松平家と水戸徳川家は江戸時代を通して
親密な縁故関係を結び、
幕末を迎えたのですが、
この幕末の難しい情勢に至って、
派閥を異にします。
高松藩十代藩主頼胤公は井伊直弼の開国論を後押し。
井伊直弼公の娘 弥千代姫を世継ぎの頼聰公の正室に迎えます。
しかし、桜田門外の変で 彦根井伊家は失脚。
弥千代姫は 離縁され井伊家へ返されます。
弥千代姫の生きた時代は、ちょうど会津若松の八重と重なります。
明治の世となって、頼聰公と弥千代姫は復縁。
その子 頼寿(よりなが)と 水戸本家の昭子(あきこ)さんとがご結婚。
つまりこのお二人 昨日ご紹介した“幕末最高の犬猿の仲”
井伊直弼と水戸斉昭との孫同士の結婚なのです。
頼寿公はのち 大東亜戦争時の貴族院議長を務めました。
これ絶対 大河ドラマにしたいんだけどなぁ。
ドラマチック讃岐 ありがとう。
大河ドラマのストーリーまで考えるお祭り “岡田久次郎まつり”まで あと120日。
父君は 徳川家康の末っ子 徳川頼房公。
兄弟とは 頼重公と光圀公。
右が賢いお兄ちゃん高松松平藩祖 頼重公。
左がやんちゃな水戸黄門 光圀公。
水戸家を継いだのが 弟 光圀公。
光圀公これを後ろめたく思い、兄の子をわが養子 水戸家の継嗣とし、
我が子を兄の子として讃岐高松へ送ったのでした。
水戸黄門の別名は“義公”。義理堅いのでした。
その故に 他藩の大名からも慕われ、
ドラマのとおり ははーっとなるのでした。
ただ 地位が高いだけで ああなっているわけではないのです。
高松松平家と水戸徳川家は江戸時代を通して
親密な縁故関係を結び、
幕末を迎えたのですが、
この幕末の難しい情勢に至って、
派閥を異にします。
高松藩十代藩主頼胤公は井伊直弼の開国論を後押し。
井伊直弼公の娘 弥千代姫を世継ぎの頼聰公の正室に迎えます。
しかし、桜田門外の変で 彦根井伊家は失脚。
弥千代姫は 離縁され井伊家へ返されます。
弥千代姫の生きた時代は、ちょうど会津若松の八重と重なります。
明治の世となって、頼聰公と弥千代姫は復縁。
その子 頼寿(よりなが)と 水戸本家の昭子(あきこ)さんとがご結婚。
つまりこのお二人 昨日ご紹介した“幕末最高の犬猿の仲”
井伊直弼と水戸斉昭との孫同士の結婚なのです。
頼寿公はのち 大東亜戦争時の貴族院議長を務めました。
これ絶対 大河ドラマにしたいんだけどなぁ。
ドラマチック讃岐 ありがとう。
大河ドラマのストーリーまで考えるお祭り “岡田久次郎まつり”まで あと120日。
by kyujirosan
| 2013-01-13 02:45
| 水戸黄門